徒然草
最近また「徒然草」を読んでいる。つまらない話もあるが、中には「ウム」と唸る話もある。
少し長いが、155段の一部を抜き出してみる。
「…春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通い、秋はすなわち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まず、落ちて芽ぐむにはあらず、下より兆しつはるに耐へずして、落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、待ちとるついで甚だは早し。」
前半は「春が急に夏になるのではなく、春には夏の気配が潜んでいる」といっている。
特に後半がよいと思っている。後半を約すと「木の葉が落ちるのは、落ちてから芽生えるのではなく、内部から芽生えて成長するものがあり、それに耐えられなくて落ちるのである。葉が落ちる準備をしているから、待ち受けて交替する順序は非常に早い」というような意味であろうか。
すなわち、ある事からある事に急に変わるわけではない。まず、下から現れてくるものがあり、今ある表面がはがれ落ちるのである。といっているのである。
学習をしていて、直ぐに結果が現れないといらいらしていることはないか。
直ぐに結果が現れることを期待する向きを僕は「インスタントラーメン的傾向が強い」と呼んでいる。
昔、法律の学習を始めた頃、毎日毎日民法を50条ずつ読んでいた。これは結構疲れる作業で、民法全部読み終えるのに1か月かかる。しかし、その地味な作業を繰り返ししていると、ある日本当に「ふわぁー」と民法が地図にように浮かんできたのである。非常に気持ちが良かったという感触を今も覚えている。まさに、「木の葉の落つるも、まず、落ちて芽ぐむにはあらず、下より兆しつはるに耐へずして、落つるなり」だ。
毎日の学習は大変だとは思うが、将来の変貌に期待して地道な作業を繰り返して頂きたい。







