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2008年06月28日

十影響の宅建スーパーWEBサイト

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辰巳法律研究所

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徒然草

最近また「徒然草」を読んでいる。つまらない話もあるが、中には「ウム」と唸る話もある。 
 少し長いが、155段の一部を抜き出してみる。
「…春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通い、秋はすなわち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まず、落ちて芽ぐむにはあらず、下より兆しつはるに耐へずして、落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、待ちとるついで甚だは早し。」
 前半は「春が急に夏になるのではなく、春には夏の気配が潜んでいる」といっている。
 特に後半がよいと思っている。後半を約すと「木の葉が落ちるのは、落ちてから芽生えるのではなく、内部から芽生えて成長するものがあり、それに耐えられなくて落ちるのである。葉が落ちる準備をしているから、待ち受けて交替する順序は非常に早い」というような意味であろうか。
 すなわち、ある事からある事に急に変わるわけではない。まず、下から現れてくるものがあり、今ある表面がはがれ落ちるのである。といっているのである。
 学習をしていて、直ぐに結果が現れないといらいらしていることはないか。
 直ぐに結果が現れることを期待する向きを僕は「インスタントラーメン的傾向が強い」と呼んでいる。
 昔、法律の学習を始めた頃、毎日毎日民法を50条ずつ読んでいた。これは結構疲れる作業で、民法全部読み終えるのに1か月かかる。しかし、その地味な作業を繰り返ししていると、ある日本当に「ふわぁー」と民法が地図にように浮かんできたのである。非常に気持ちが良かったという感触を今も覚えている。まさに、「木の葉の落つるも、まず、落ちて芽ぐむにはあらず、下より兆しつはるに耐へずして、落つるなり」だ。
 毎日の学習は大変だとは思うが、将来の変貌に期待して地道な作業を繰り返して頂きたい。

行政書士の感動

僕の小学校からの友人にYがいる。彼は、ある企業の中の診療所で歯科技工士を勤めていたが、あるきっかけがあり、それを辞めて商売を始めた。それも51歳の頃である。
 それから、何年か経たが今や立派な実業家になった。
人間は何に才能があるか分からないと彼を見ていてつくづく思う。
もし、彼が何の疑いもなく、歯科技工士を続けていればと思うと、現状には感慨深いものがあるのだ。
 その代わり忙しいようである。
毎年来る彼の年賀状は我が家でも評判の良いものであった。小学校の頃は絵が上手く、僕は、彼は絵描きになると思っていたものだ。1枚1枚手作りの年賀状は家族の心を捉えていた。しかし、最近の彼の年賀状は皆と同じようになってしまった。それが悪いと言っているのではない、それは忙しい証拠であり、結構なことだと思っている。
 先日、仕事で上京してきたので会う機会があった。そのとき、彼は、「人と同じことをしていてもダメだ」「人に感動を与える仕事でなければならない」という趣旨のことを話してくれた。
 その例も話してくれた。この欄ではスペースの関係で詳細を伝えられないが、この「感動」というキーワードが僕の心を捉えて離さない。
 何の世界も同じではないかと思う。
 例えば、行政書士の受験生のための本は沢山出版されている。その中からどれを選ぶかの基準は何であろうか。
 僕はもしかしたら、この「感動」にあるのではないかと最近は思っている。
 ある本に巡りあって感動を覚えて「何だそうだったのか」と思うことがある。
 セミナーでも同じ、模擬試験でも同じである。皆さんが目指している法律家も同じである。
 法律は決して無味乾燥なものではなく、感動に溢れていることを皆に伝えていきたいと思う今日この頃である。

行政書士をはじめるにあたって

○はじめに-行政書士1
 また、今年も「今年こそ行政書士!」のシリーズが刊行される。「初めの一歩号」というVOL0は既に発売されている。
 初めて、「今年こそ行政書士!」を世に問うたのが2001年であるから、今年で8年目に突入する。時期が重なっているが、その当時僕はある予備校で、司法書士の受験生を教えていた。
 長い間やってきたなぁと思う。
 先日、大阪での行政書士のセミナーで息抜きにその予備校時代の話をした。ある受験生が35歳で仕事をやめ上京し、苦労しながら司法書士となった話である。
 そのセミナーが終わり、質問に来た受講生が「さっきの話の司法書士の先生は、同じ故郷の人でよく知っています」といったのである。
 その司法書士は広島の人でセミナーの場所は大阪である。
 僕は、世間は狭いと感じたのと同じぐらい自分が携わってきた仕事の長さを感じていた。
 彼が司法書士を目指して上京し、僕が担当した。2人で煙草を吸いながら(今では僕は煙草をやめた)教室で学習をしたこともある。
彼は最初のテストは15点満点で2点だった。その2点のテスト用紙を合格するまでトイレに貼っていたという話である。それを見るたびに「なにくそ」と思ったという。
 今は、瀬戸内海に面した場所で司法書士事務所を開いている。他の司法書士も置き、従業員もいて活況である。
 彼とは電話でよく話す。自分の考えをまとめるために電話してくるのである。そして自分で納得して「また」といって受話器を置く。
 僕は相も変わらず、文章を書き、人を教えている。
 全国に散らばっている、僕が教えた人たちのことを思う。そして、出会った人たちのことを考える。もうセピア色をしている部分もある。
 目指す資格は異なるが、「よしやるぞ!」という気迫は同じである。
 今年も最後までお付き合いをお願いします。